今夜君とダンスを

アイドルはいつだって天才だ

虎者におけるマツダという人間の人格形成について

1.はじめに

虎者NINJAPANは本年度で3年目となる舞台ですが、主役にあたる虎者については「光の戦士」や「誠の虎者」といった全体を指す名称で呼ばれてはいるものの、個人のパーソナリティを示唆したり、それぞれの関係性を明確にするようなエピソードが描かれている訳ではなく、その本質に迫る事はやや困難です。しかし、決められた台本の中でも演者は舞台上で役として生きている時間が多くある事で、意識的なものか無意識的なものかは不明ですが、その演技からパーソナリティに触れる事ができる瞬間もあります。今回は、マツダという役名を与えられた松田元太くんの虎者における演技についてまとめていきたいと思います。


2.今年度の虎者について

まず、現在分かっている情報を整理してみましょう。虎者は7人の戦士として、育ての親「朱雀」によって集められ、鍛えられていたようです。朱雀曰く虎者は、初めは一人一人が若輩者であり、敵か味方かも分からず啀み合い罵り合っていた輩だったと言います。この台詞から虎者7人同士には血縁関係や師弟関係はないものと考えられます。経緯は不明ですが、将来的にカゲロウと戦わせる為に朱雀がこの7人を集めて虎者と名付けたとします。


3.マツダという人間の言動について

まず役名こそ与えられているものの、元太くんが「マツダ」と呼ばれている場面は劇中では一切登場しません。その為、マツダという人間のパーソナリティを考えるには、他の人物に対する言動や些細な動きから情報を得なければなりません。如何せん、元太くんはマツダという人間をかなり感覚的に演じているので毎公演同じ演技ではない所があるのですが、元太くんがどう考え、どうマツダの心情を理解し、演じようとしているかは一貫していると思っているので、その辺りを一つずつ掘り下げてみます。


①「だが、俺はまだまだ力が足りない気がする」

虎者1幕序盤。7人が朱雀によって集められ、力もついてきた、そろそろカゲロウと影虎を倒す時だと言われる場面。育ての親の朱雀に自分達の力を評価された事、また、ずっと倒すことを目標としてきた相手と戦う好機を目の前に提示され、勢いづくノエルとカイト。そこに、このマツダの台詞。「俺はまだまだ力が足りない気がする。」皆が戦いを前にして盛り上がっている場面で、1人だけ不安げな表情を浮かべて何かを言いあぐね、そしてようやく口にするこの台詞。少し離れた位置へ移動し、皆の顔を見られずに背を向け、とても自信なさげに下まで向きながら。言いづらいんだろうな、影虎とカゲロウを倒す時だと勢いづく皆の盛り上がりに水を差すようで。ここでマツダはとても遠慮がち且つ、自分に自信がない性格なのだろうか…と思います。しかし、後々物語が進んでいき序盤劣勢な虎者を見ていると、やはりカゲロウや影虎達に挑むにはしっかりと力を発揮できておらず、時期尚早な印象も受けます。つまり、マツダの言う「俺はまだまだ力が足りない気がする」は決してマツダ本人の自信がなかったり、虎者を過小評価しているから出た言葉ではなく、冷静に本質を見抜いているからこそ出る言葉なのではと思ったりもします。下向き加減な発言から自信なさげな末っ子、という印象もありますが、物語を通してこの発言を考えると、マツダはとても俯瞰で物事を見ることが出来るキーマンにもなり得る気がしています。


②「だが、二手に分かれていては我らの力が分散し…」

まだまだ力が足りない気がする、と声を上げたものの皆で力を合わせれば大丈夫だとお兄ちゃん達に説き伏せられ、結局カゲロウと影虎に挑む事となる虎者7人。一度は「ああ」と声を出して同意するもののマツダは腑に落ちていない顔を続けています。朱雀の「予言が来るぞ!」のシーンでも、すぐにサッと顔を伏せる構えをする朱雀に従順に見える6人に対し、1人緩慢な動きのマツダ。すごくゆっくり顔を伏せる時もあり、マツダって朱雀のことどれだけ信用しているのだろう…と感じます。虎者7人が集められ、どれだけの期間朱雀の下で修行を積んだのかは分かりませんが、心の奥底でマツダだけは朱雀のことを信じ切っていないのかもしれません。その場の感覚だけではなく、長年に渡り形成されたマツダという人間のパーソナリティに触れるような演技を一瞬の表情で見せてくれる元太くん、本当にすごいなと思っていました。

その後、ノエルとカイトの意見が別れ、虎者が二手に分かれるか否かで言い争う場面での「だが、二手に分かれていては我らの力が分散し…」のマツダの言葉。その言葉にノエルに「戦うだけが全てじゃない!」と返され黙り込んでしまうマツダ。だってさ…さっきさ…全員で力を合わせたら勝てる的な事言うてましたやん…それこそが我ら虎者の力っていう話でしたやん…。それなのに7人の分散させてしまうのですか…?というマツダの疑問は至極真っ当な気がするのですが、戦うだけが全てではないと言われてしまえば、もう返す言葉がない。攻撃力を分散する訳ではなく、戦わずして効率的に、戦略的に、相手を確実に潰していこうという策なんですよね。それも分かる。ノエルの考えも分かるんです。この後のマツダの反応、かなり多種多様で、仲間に説き伏せられた後に渋々自分を納得させて、気持ちを高めていこうとする演技もあるのですが、その一方でノエルの言葉に対して「何だよ…」と言うような感じで肩を竦める反抗的な演技と表情の時もあります。その後のカイトの「(二手に)分かれよう!」の掛け声に最初のうちは強く頷いたり声を上げて反応したりしてた所を、掛け声をやめて最後まで虎者が二手に分かれることにずっと納得していないような表情を続けたり、かなり尖った演技もしています。先述したように元太くんはとても感覚的にマツダを演じているので、意図的に「演技プランを変えよう!」とかではなく、長期間マツダという人間と過ごす事で徐々にマツダならどういう行動をするか、マツダならここでどんな顔をするか、という、マツダを通して元太くんが考えた「演技」ではなく、それは「マツダの思考」であり「マツダの行動」そのままなのだろうなと思います。元太くんにマツダが憑依しているとも言える。だから表現が変わっても、どれもちゃんとマツダとして筋が通っているのです。


③「オイ、どういう意味だ!」

二手に分かれた虎者。紅孔雀が倒した相手の中に1人も影虎が含まれていない事に気付くカイト。影虎は7名居ると聞いているが、ここには1人も来ていない。ということは、先程二手に分かれたばかりのノエル達の方に近付いていることは明白です。綺麗な蹴りで相手を追い返した後、上記の台詞を言いながら、カイトの言葉に怪訝な表情で近づいてくるマツダ。ノエル達に良くないことが起きていることは確実で、それにいち早く気付いたカイトへの「どういう事だ!」という焦りが垣間見えてとても良いです。「ノエル達が危ない!」と言われた時の目を見開く表情。瞬時に危険を察知し、考えるよりも先に足が動くあの感じ。一瞬で様々な想像を巡らせたであろうマツダの、心の動きを全てを余すことなく表現している一場面です。


④「これも全てが罠だったんだよ…」

地獄谷でカゲロウを見つけた虎者達に飛んできた矢文。間一髪矢文はカイトの手によって仕止められたものの、問題はその中身でした。「仲間は死んだ」。つまり、影虎達に捕らえられたノエルは死んだと書かれています。虎者達がそれぞれに目の前の怒りや、仲間を失ったかもしれない悲しみ、到底抱え切れない絶望を、声や表情を通して放出している時、たった1人大声も上げずに静かに立ち尽くして「これも全てが罠だったんだよ…」と呟くマツダ。ここです。ノエルが生きている事を信じて地獄谷に助けに来たものの、結局当のノエルや影虎は見つからず、カゲロウにははぐらかされ、死んだという内容の矢文だけが手元に残っている状況。詳細こそ分からないが、おまけに朱雀まで捕らえられていると。状況がどんどん最悪へ向かって転がっていく中で、マツダにとってはこれは「最悪が重なった偶然的状況」ではなく「誰かが仕組んだ必然的状況」なんです。誰かがこうなるように裏で糸を引いている。こうなる事はまるで最初から計算されていた。絶望的な事実の連続を前にして「何故」ではなく「全てが罠だったんだよ…」と言えるマツダは、改めて冷静というか、どこか懐疑的な側面を持っているんだなと思います。

ところでマツダは、この時点で朱雀の怪しさに少しも気付いていないと言い切れるのでしょうか。碧鷺4人で居たところを襲撃され、影虎に捕らえられてしまったノエル。そもそも、7人全員で行動していたらこうはならなかったかもしれません。4人だから襲撃されたとしたら。4人で行動している事を、何故カゲロウと影虎は知っていたのでしょうか。たまたまでしょうか?虎者が7人ではなく、二手に分かれることを知っていたのは虎者以外に1人しか居ません。マツダにとって、本当に朱雀は信用に値する人物でしょうか。マツダが発した「これも全てが罠だったんだよ」の「これも」に引っ掛かりを覚えています。今目の前で起きた、「ノエルが死んだ」と書かれた矢文が届いた事実。まだ影虎やカゲロウと戦うべき実力が備わっていないにも関わらず、朱雀には戦いへ送り出された事。虎者が二手に分かれるか否かの言い合いの時に「お前達で定めるが良い」と、二手に分かれることによる弊害などを伝えてはくれなかった事。虎者の自立性を尊重したようにも見えますが、朱雀にとっては虎者は二手に分かれてくれた方が都合が良かったはずです。「これも全てが罠だったんだよ」。ノエルが本当に死んだかもしれない事だけではありません。そんな時に朱雀までもが捕らえられたという事も、何だか話が出来すぎています。マツダはこの時、まだ朱雀の正体には気付いていないのかもしれませんが、発した言葉は「全てが罠だったんだよ…」ではなく「これも全てが罠だったんだよ…」なので。「これも」なので。どこかでこの状況は全て繋がっていて、誰かに仕組まれていて、それに朱雀が関与していると本能的に察知しているように思えてなりません。


⑤朱雀の正体を明かされるシーン

影虎に捕らえられた朱雀へと、虎者が辿り着いたシーンから。朱雀が闇の帝王である事を影虎から告げられ、今まで慕っていた育ての親からのまさかの裏切りに衝撃を受ける虎者達。叫ぶ者、悔しさを滲ませる者、あまりの衝撃に立ち尽くす者。勿論マツダもここでかなり驚いた顔をしているのですが、そこからの切り替えがかなり早い。他の皆がずっとショックを引きずっている場面で、誰よりも早く影虎との対戦に頭を切り換えて、体勢を立て直しています。マツダは恐らく、ある意味一番ドライというか「去る者追わず」主義のような所があるのかもしれません。虎者が集められるまでのマツダがどのような生き方をしてきたのかは分かりませんが、前述した通り、朱雀に対して懐疑的な目線を向けている事からも、今までもあまり誰も信用しないようにしてきたのかもしれません。だからこそ、衝撃だったものの、どこかで信用し切れていなかった朱雀の裏切りは、マツダの心の中である程度想定できていた可能性もあります。

しかし、ノエルが生きていると分かったシーンで、マツダの朱雀と虎者に対する信頼の決定的な差を見せつけられます。「カゲロウは、殺させない!」と飛び出してきたノエルの顔を見て安心している5人の隣で、最初こそ「ノエル!」と名前を口にしたものの、誰よりも早く影虎側を向き直して再度構えの体勢に入るマツダ。あんまり心配してないのかな…?と思いきや、7人で戦い始める前にきちんとノエルを振り返って「大丈夫か?」と目で合図しています。マツダにとって今ここで大切なのは、ノエルを心配する事よりも、ノエルを守るという事だったんだな…と感じ、どこか他の虎者に対してもう一歩が踏み込めず、遠慮がちなマツダを感じていた冒頭とは打って変わって、心の距離感がグッと近づいた事を実感するのでした。言葉少なでも、ちゃんとマツダの心理が伝わってくる大変良いシーン。


⑥カゲロウが亡くなり、朱雀に煽られるシーン

ここです。ここ。今回一番書きたかったのはここ。ベストオブここの元太くんの表情を見てくれ2021。世界中のみんな松田元太くんのここの演技の凄さに気付いてくれ大賞2021受賞。カイトを庇ったカゲロウが命を落とすシーン。動かなくなってしまったカゲロウを囲んでそれぞれに叫んだり、涙をこぼしたり、力無く声をかけ続けたりする様々な反応の虎者の一番後ろにマツダは居ます。一言も声を発する事はなく、その表情は微動だにしません。ただ、今ここでカゲロウが命を落とした、という事実を前にして己の無力感に立ち尽くしているマツダ。単純な悲しみとも、絶望とも違う。さっきまで対立していたはずの敵であっても、何か事情があるのならば、マツダにとって、それはきっと守りたかった存在のはずです。その命が今、手の中からこぼれ落ちて行った。マツダの中にあるのは間違いなく、今、目の前にいる誰かを救えなかったという「自責の念」と「そうなる原因を作った朱雀への怒り」がない混ぜになったものなのだと思います。

「闇の世に情など要らぬわ」と言い、実の娘を貶すような発言を繰り返す朱雀にゆっくりと身体を向けるマツダ。目を瞑って静かに、その言葉を咀嚼するように何度も頷きます。ああそうか、朱雀、お前はそういう考えなのか、残念だ、とでも言うような、諦めと怒りと軽蔑をも孕んだ感情表現。朱雀に対して声を荒げなくとも、マツダの感情が手に取るように伝わる圧巻の表現力。この後ノエルの怒号を合図にして虎者全員が走り出すんですが、もうマツダが早い。ここのマツダの走り出しが早い。警察犬?という早さ。もう朱雀に対しての怒りのみが原動力になって足を動かしています。そして、最後まで泣き喚く事はなかったマツダが、朱雀に向かって走り出すその瞬間にこぼれ落ちた涙を拭う事もあったのが、また凄い。涙が落ちる瞬間までコントロールされているんですか…?天才ですか…?という話です。


⑦「虎者は7人居なければ虎者ではない。でしょ?」

ここ…ここね…マツダの成長を感じるシーンです。「迷惑をかけてすまなかった」とノエルが謝罪するシーンで、優しい表情でノエルの前に立ち、この台詞を口にするマツダ。冒頭のシーンに戻ってみてください。自信がなく、遠慮がちで、誰に意見する事もおどおどとしていたはずのマツダが、謝るノエルを諭しています。皆に、7人が力を合わせれば大丈夫、それが虎者の力だから、と説得されていたあのマツダが言うからこそ、彼がこの戦いを通して成長した事を実感できる台詞。非常に良い伏線回収です。


4.おわりに

マツダの一つ一つの台詞量と考えるとそこまで多くはないかもしれませんが、元太くんが約2ヶ月、稽古も含めるともっと長い期間、マツダという人間と一緒に過ごしたからこそ滲み出ていた彼のパーソナリティに、客席は表現を通して大いに触れる事が出来ているのではないかと感じます。元太くんは舞台上で、同じ事を繰り返すだけではなく、少しずつ違うトライをしたいと話していました。少し立ち位置を変えると、見える景色が変わる。自分だけじゃなく、周りも毎日少しずつ違うからこそ、新たな発見がある。違うと感じたら、また直せばいい。約2ヶ月間の「マツダ」という人物へのトライ&エラーの繰り返しが、役名の有無や台詞の量に左右されない、元太くんにしか成し得なかった表現の形であり、次の新たな表現へと繋がっていく大きな通過点になるんだろうなと強く感じました。本当に、この演技力が早く世界にみつからないかな…と切に願います。