今夜君とダンスを

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ABC座の「愛のかたまり」に見る松松のダンスの美しい対比とは

愛のかたまりの松松に対して、言葉にできないエモさを感じているすべてのヲタクたちへ。今からポエムを喋ります。

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すごい…良い…ウエストサイドストーリー強…仮面揃えたいのでステフォの第2弾元太くんは仮面ください(強欲)

 

 

 

早速話が逸れました。

 

 

 

 

 

「自分の身体を貸して世界のページを作る人」
「そのページをめくるストーリーテラー

 

まず最初に、愛のかたまりの二人に対する私の見解はこれです。

 

 


もはや説明不要ですがジャニヲタ必修曲KinKi Kidsの「愛のかたまり」。こちらを現在日生劇場にて上演中のABC座ジャニーズ伝説の2幕にて橋本良亮くんがソロで歌っているのですが、今回のブログはそのバックで踊る松田元太くん松倉海斗くんのダンスの対比について書いております。

 

 

言わずと知れたシンメの二人ですが別にダンスがそっくりかと言うとそうでもない。でも全然違うかと言われるとそんな事もなくて、ちゃんと同じ匂いがするんです。うまく言えないけど〜というもやもやをずっと持ってきていたんですけど、なんとなく今回のABC座の「愛のかたまり」を見て言語化できそうなので残してみます。

 

 

 

 

 

憑依型であることは有名な松倉海斗くん。

 

曲冒頭からバックとして出ていますが、もはや目が違う。目の色から視線の動かし方から違いすぎて、中の人幽体離脱してもう居ないな…別の人格入ってるな…ってレベルです。よくSF映画とかホラー映画とかで愛する人が謎の人格に乗っ取られたりするじゃないですか。松倉くんの憑依型ってあんな感じ。見た目は松倉くんなのに、もうそこに松倉くんは居なくて、でもそれってめちゃくちゃ凄いことなんですよね。誰にでもできる事じゃない。

 

 

目の前の真っ白で汚れのない愛情を信じて疑わなくて、相手や自分の僅かな感情の揺れをすごく敏感に察知して喜んだり勘繰ったり悲しんだりする。
リアルを超越した恋愛の揺れ動きを目の前で生々しく表現する。しゃがみこんで床に視線を這わせて、ゆっくり瞬きをする。ああ、この「愛のかたまり」の女性って、もしかしたら、実在したらこんな感じなんだろうなあと、思わざるを得ない。

 


曲の中の話なのに、女性は今ここで息をしている。松倉くんの体を乗っ取って。

 

 


「愛のかたまり」を踊る松倉くんは、この女性に成り切って、なんて生易しいものではなくて、この女性に「松倉海斗」の身体をその受け皿として明け渡している。「愛のかたまり」という物語の中で、そのドラマのページを紡ぎながら生きている。

 

 

演じてる、なんて意識は多分1ミリもない。
この歌の中を生きる松倉くんはこの世界が虚構だなんて思っていないし、恐らく「愛のかたまり」という物語の未来を知らない。

 

 

 

 

 


対して松田元太くん。

 

彼は松倉くんのような憑依型ではないものの、曲の表現者としてピカイチで、非常にエモーショナルなダンスをする、かつ、物語の縁取りや距離感を捉えるのがとても上手いので、「愛のかたまり」の世界の中を生きる松倉くんに対して元太くんはその本のページをめくる人。ストーリーテラーの役割を担うダンスをしている気がします。

 

その世界の嬉しさや悲しさや女性の心情を余す事なくダンスで指先に乗せているけれど、どこか一歩引いてその物語を見ている。


元太くんと「愛のかたまり」の世界の間には、見えない線が引かれている。でもそれは決してネガティブな意味の線ではなくて、ちょうどこの物語の世界と現実世界の狭間を行き来できるバランスを保っているからこそ、この線が元太くんのダンスの中には見え隠れするのかな〜と思ったりします。

 

 


感情移入していない訳ではなく、その世界に頭まで浸かっている訳でもない。
どちらの世界にも偏り過ぎない、非常に俯瞰的で中立的な立ち位置。

 


一つ一つ動きが丁寧で、感情的に走ることが少ない分、まるで元太くんはその世界を生きているというよりも、「愛のかたまり」というタイトルの本のページを1枚ずつめくってステージを見る者に読み書かせているような、そんな印象。

 

ストーリーテラーである元太くんはこの物語の行く末を知っている。本の終わり方を、話の顛末を、この恋愛が続くのか終わるのかを、知っている。そんなダンスをします。

 

 

 

 

 

 

「最後の人に出逢えたよね」も、松倉くんにとっては、疑う余地のない最後の人との出逢いであって、元太くんにとっては、その物語の顛末を知った上での「最後の人」なんていう、どこか含みを持たせた、見る者に想像させる余白を与える表現にも取れる。

 

 


「自分の身体を貸し世界のページを作る人」は、物語の行く末を知らない者。
「そのページをめくるストーリーテラー」は、物語の行く末を知る者。

 

 


それが「愛のかたまり」における、松松のダンスの美しい対比(自己解釈)です。まあ全部主観とポエムなので、適当に読み流して頂ければと思います。

 

 

 


書いてるうちにまた早くえび座に行きたくなってきたよ。

えーびっし、えーびっし、えびしじ〜〜〜!!!