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ジャニオタが「推し、燃ゆ」を読んだ

宇佐見りんさん著「推し、燃ゆ」を読んだ。

 

 


恥ずかしながら芥川賞を受賞されるまで著書を目にする機会がなかったのだが、テーマがテーマなだけに読んだ方が良いような気がして購入。主人公の「推し」が「ファンを殴ったらしい」というニュースと、それに対する炎上から始まるお話。

 


「推し」と呼べる存在を持つ人なら共感できるストーリーなのだろうと、最初の頁をめくった瞬間に「共感」という安っぽい言葉に容易に落とし込める感情ではないことを悟ってしまった。知っている、と思った。例えこの物語が自分ではない誰かのものでも、この感覚も、あの感情も、手に取るように分かるというよりは、誰もが口の中に含んで咀嚼をして、泣きながら飲み込んだ事があるような生々しさを含んでいた。

 


日常的に辛い事も「推し」のために頑張れる事。「推し」のために予定を組んで、「推し」のために働いて、「推し」の人生を支えようとする生き方がある事。「推し」が何らかの問題を起こしたら、非難と擁護の渦の中に飲まれる様子を言葉も絞り出せずただただ見ることしか出来ないかもしれない事。「推し」の到底受け入れがたい話が浮上した時、やけに頭の中が白んで、体温は下がるのに汗が出て、息がしづらくなって、音と景色が自分から切り離されるこの感覚が確かに存在する事。「推し」にはどんな時も幸せに暮らしてほしいと願う事も。ああ、知ってるな。これ、知ってる。知ってるんですよ。

 


「わかるわかる」「あるある」「これ、まさにリアル」という、誰かを「推し」ていれば一つは頷いてしまう感情が一冊の中に敷き詰められているけど、

勿論主人公は「私」ではないから全てに共感できる訳ではない。恐らくこれを読んだ人の中に、書いてある事全てに首がもげる程頷いて共感出来る人も居るだろうし、部分的に「これは分かる」と「自分はここまでは行かないから共感できないな」という所がある人も居るだろうし、体験したことはないけど、いざこういう事が起きた時「自分はこうなるのかも」と恐怖にも似た感情を持った人も居るだろうし。

多角的に見た「推しを持つ人間」の「概念」が幾つも詰め込まれたような主人公だから、どこか生々しくて、存在していそうな気がする。読んだ人にとっての完全な「私」でも、完全な「知ってる誰か」でもないからこそ、その辺に居そうな「推し」を持つ人間として形成されていて、それがまたとてつもなくリアルだった。

 


熱狂的に「推し」を持つ人間にしか理解できない話かと言われると、決してそうでもない。この話では「推し」こそが主人公を支える生活の主軸であり、文中に表現される所の「背骨」であった訳だが、きっと「自分の生活を忘れるほど入り込める何か」や「心の拠り所」を持つ人間にならどこかで通ずる感情なのだと思う。生活もままならないけど、その場所にいる時だけは自分のアイデンティティが保てるような気がしたり、どれだけ様々なものに疲弊してもこの主軸さえ折れなければまだ立っていられると思えるものだったり。

たまたまそれがこの作品で「推し」であっただけで、それは誰かにとっての「趣味」であったり誰かにとっての「恋愛」であったり、その他のものであったり形を変えるのかもしれない。壮大な言い方をしてしまえば人生をかけて何かに打ち込んできた人にとって、その存在がこの作品で言う所の「燃える」というのは、どういう事を意味するのか考えさせられる作品だった。

 


「推し」は生活の全てだけど、「推し」ありきで色んな事が決まったりするけど、「推し」がある日突然人生からぽろっとこぼれた時、そこに残るのは何なんだろうと思う。「推し」を一生懸命応援して、同じように好きな人たちと交流して、あるいはSNSを見て、色んな土地に足を運んだり、色んなものを見たり、考えたりして見聞を広げたりする事。結局、そこから「推し」を差し引いた時に残るのはそれ以上でもそれ以下でもない「その人の人生」だけだ。

 


美味しそうなご飯を沢山食べて、残るのは空の皿だ。「推し」を推し切って、少しずつ消耗していって、一番底に残るのはそれの受け皿になっていた自分の人生だ。「推し」という存在に焦点が当てられがちな作品だけど、「推し」という半透明な板の向こう側に「私の人生」だったり「あなたの人生」だったり「誰かの人生」が透けて見えるから読んだ時に言いようのない体温を感じる。

 


そして読み終わった時、これはその辺に転がっている適当な「リアル」でも何でもない「私」であり「あなた」の人生である事に気付く。だから知っているし、知らないし、それは明日の自分かもしれない。

 


余談だが、文中の推しの誕生日が「8月15日」であり、「推しは人になった」という文章がずっと引っ掛かっている。8月15日は歴史上、ポツダム宣言受諾による終戦の日。「推しが人になった」は「天皇人間宣言」。そう解釈するとこの作品は、「推し」を応援するという戦争のような場所に身を置いていた主人公の終戦と、主人公にとっての天皇を崇拝し続けた信仰心を示唆する天皇小説なのかもしれないと思えた。

心の拠り所を失った人間の信仰心がどのように消化されていくのか、それがとてつもなく生々しく、壮大で、緻密で、乱暴で、丁寧に描かれている。

 

 

 

 


読めて良かったと思う。

そして今日も私は「推し」を推す。